さて、主にある囚人であるわたしは、あなたがたに勧める。あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き、
(エペソ人への手紙 4:1)
学生は学生らしく、社会人は社会人らしく。そしてクリスチャンはクリスチャンらしく…ということでしょうか。
イエスさまは言われました。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう」(ヨハネ13:34-35)。
「召し(その救い)にふさわしく」。それをしばしばパウロは、「愛されているのですから…」と表現します。
それは、投獄の苦しみの中からもなおエペソに手紙を送る、あのパウロの心にもせまる「愛する」ことへのチャレンジだったのでしょう。
- 祈り イエスさま。あなたがわたしたちに今も変わることのない愛を注いでくださり感謝します。その愛にこたえて、わたしたちも愛する者となれますように、祝福してください。