主は全地の王となられる。その日には、主ひとり、その名一つのみとなる。
(ゼカリヤ書 14:9)
もちろん、本物の神でないと困りますよね!?
聖書は「”唯一の”まことの神」を語ります。
…だから、キリスト教は偏狭なんだ。融通がないんだ…と言われます。
わたしたちの周囲には、自分たちの願いや都合や楽しみ、そして自分たちの負い目から生まれたいろいろな種類の偶像が、神として祭り上げられています。
人の側の都合で造られ、またどうにでも造り変えたり、運んだり、コントロールできる神さまに、どんな真実があるというのでしょう。
聖書は、終わりの日が来ると語ります。そして”その日には”、万物に先立って存在し、そのすべてをつくられた神のみがあがめられることをあらわしているのです。
「本物の神」を見いだしてほしい! 強く願っています。