「見よ、わたしはわが使者をつかわす。彼はわたしの前に道を備える。またあなたがたが求める所の主は、たちまちその宮に来る。見よ、あなたがたの喜ぶ契約の使者が来ると、万軍の主が言われる。(マラキ書 3:1)
この直前の2章の最後に、人が神を侮る言葉が指摘されています。
「神は何もしない、裁きなどない…」とうそぶく人々の言葉に応答するのが、上記の言葉です。それはイエスさまの降誕に先立つバプテスマのヨハネの登場につながっていきます。
現代のわたしたちもまた、どこかで自分たちが何をしてもしなくても、神さまは気づかないでいる、裁かれることなどありはしない…などと軽んじてはいないでしょうか?
神さまに背を向けた生活に慣れてしまわないでください。
ペテロの手紙の言葉を覚えていてください。
- 「ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。」1ペテロ3:9
- 祈り 神さま。あなたが私たちに対して長く忍耐して下さっていることを感謝します。どうか、わたしの心、教会の人々の心が、あなたに対して誠実さを回復することができるよう、諭し導いてください。