未熟な者は何事をも信じこむ。熟慮ある人は行く道を見分けようとする。
(箴言14:15)
「自分自身にだまされる」という経験をすることがあります。
自分の願いや理想、善いと思った道を進んで失敗や挫折を経験したときなどです。
クリスチャンが祈っている時にも、自分の願いと神の思いを判別できずに、結局自分の思いに従って進んでしまうということもあるでしょう。「祈ってきたのに…」と不満をもらす方もおられます。
私たちには、神さまの御思いに耳を傾けることのできる謙虚な心と、信頼できる信仰の友が必要です。
教会の交わりの中で、熟慮ある歩みを学ぶことができれば幸いですね。
- 祈り 神さま。わたしの信仰生活の歩みを正し、導いてください。