これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。
(マタイによる福音書26:28)
むかし読んだ小説や観た映画。あの時感動したけれども、今見るとその感動が薄らいでいる…ということはありませんか?
もしキリストの十字架の死が、ただの身代わりの犠牲という意味合いしかなかったのであれば、それは、記憶からも印象も薄れていったかもしれません。
しかし、このキリストの犠牲は新たに神さまとの間に「法的に完全な契約」が完成したことを、わたしたちは教えているのです。
わたしたちは、その新しい契約を信じ受け取って、その中に生きる者とされています。
今の感動や感情によって左右されることのない、完全な契約が、神さまと信じるわたしたちを結び付けているということ、それがどれほど幸いなことか、知ることができれば幸いです。
- 祈り 神さま。あなたがキリストによって完成してくださった契約のゆえに感謝します。わたしたちの思いや力、また感動を超えて、神さまの完成してくださったこの契約はゆるがないことを心から感謝します。安心して、今日一日も歩みます。どうか導いてください。