教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。
(エペソ人への手紙1:23)
教会は建物のことを言ってはいません。キリストの体と呼ばれているのは、主を信じるクリスチャンたちの集いです。
そこに礼拝があり、そこに賛美があり、そこに祈りがあり、そこに御言葉と信仰の応答があります。そしてそこでこそ、わたしたちの心は、やわらげられ、ほんとうの恵みを受け取ることができます。
この集いには、キリストの恵みと約束、祝福が満ちあふれていると証されています。
もし、あなたがキリストの体なる教会を軽んるのであれば、悲しいことです。
キリストの体の祝福を損なうことになるからです。
その心はどんどん頑なになります。頑固になって、神の恵みが見えなくなってしまいます。聖書は何人も、そう言う人のことを記録しています。
もし今、心がこわばり頑なになっていることの気づいたら、教会に立ち帰ることです。神さまが用意された礼拝の中に、そこはキリストの恵みと祝福があることを思い起こしてください。それが神さまの方法だからです。
- 祈り 主よ、あなたがわたしたちに与えてくださった、キリストの体なる教会を心から感謝します。わたしの心のこわばりをやわらげ、あなたの用意された恵みに生きることができますように、導いてください。