わたしは、四十日四十夜、主の御前にひれ伏した。主があなたたちを滅ぼすと言われたからである。わたしはひれ伏して、 主に祈って言った。…
(申命記9:25)
出エジプトして後、イスラエルの民は何度も主なる神に逆らい神を怒らせたことが記されている。そしてそのような民に神が裁こうとされたことも。
わかるのはイスラエルの民が自分たちの神への罪の深刻さに気づいていなかったこと。そしてそんな彼らをモーセが必死でとりなし祈っていたことです。
気づかされることは、わたしが今生かされているのは、わたしが正しからではない。むしろその逆であるにもかかわらず、キリストがわたしのために犠牲となり、今もとりなしてくださってるからだということです。
わたしたちは、自分のわずかな正しさらしきものを誇り、罪の深刻さに気づかないでいることがあります。わたしは滅びから守られている。そこにはキリストのとりなしがある。そのことに気づくことの大切さを覚えましょう。
- 祈り 主キリストさま、今もあなたのとりなしの祈りによって守られていることを感謝します。どうか高慢になりやすいわたしの心を砕き、気づきを与えてください。