しゅろの枝を手にとり、迎えに出て行った。そして叫んだ、「ホサナ、主の御名によってきたる者に祝福あれ、イスラエルの王に」。
(ヨハネによる福音書 12:13)
数日後のイエスの十字架の受難につながるこのシーンですが、ここにいる民衆の思いにうそはありません。
そこには、人々が抱く大きな期待、すなおな思いがありました。
たしかにそのそばには、イエスを貶めたいという悪意を持つ人もいました。
でもイエスさまはそれを承知で、ここに来られたのです。
イエスさまには”主の御名によってこられた”目的があったからです。
わたしたちのすべての罪を身代わりとなって背負うため、そこにあるあらゆる敵意さえも全て身に受けて十字架で死ぬためです。
罪の世界では、知らず知らずでも、神に敵意を向けているのです。
そしてその敵意や憎しみは、だれかを傷つけるまで行きどころを探すやっかいなものです。
イエスさまは、そのすべてをその身に受けとり、それでもなお私たちを愛し赦し、とりなしてくださいました。わたしたちは、この方に神の愛の真実を見るのです。
心からの感謝しましょう。