主の僕(しもべ)たる者は争わず、すべての人に柔和に接し、教えることができ、よく忍び、反抗する者を優しく教え導かなければなりません。神は彼らを悔い改めさせ、真理を認識させてくださるかもしれないのです。
(テモテへの第二の手紙2:24-25)
最近、「詰む」とか「詰める」という言葉を耳にします。
議論の中、相手がぐうの音も出ないほど追い詰めることです。
ただそれは、正しくあっても、”優しく”ありません。
イエスさまの方法でもありません。
イエスさまは、弟子たちや人々の不理解や誤解を、柔和な心をもって忍び、教え導かれたことを見ることができます。
そこで、その人たちに気づきを与えてくださる、神の御業を信頼していたからです。
事実、弟子たちにその回復のみわざを見ることができます。
続きにこうあります。
こうして彼らは、悪魔に生け捕りにされてその意のままになっていても、いつか目覚めてその罠から逃れるようになるでしょう。 (:26)
- 祈り 主よ、聖書が語る通り、わたしはあなたの僕(しもべ)です。どうか自分の正しさで相手を詰めるような心を治め、愛と柔和をもって優しくあることができますように。すべてを治め、わたしにも相手にもきづきを与えてくださることを信じます。