わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。(1ヨハネ4:16)

★何も知らないでいても

…従者は矢を拾い上げ、主人のところに戻ってきた。従者は何も知らなかったが、ダビデとヨナタンはその意味を知っていた。

(サムエル記上20:38b-39)

ヨナタンは、サウル王に命を狙われるダビデへの秘密の合図として、この矢がはなたれ従者に取りに行かせる…ということ、その背景にダビデとヨナタンの友情がありました。

この出来事の中に、一人の従者(少年)が、矢を拾う役割を果たしています。
本人は「何も知らなかった」とあります。しかしそれは大切な役割でした。

神さまに仕えるということ。その礼拝や証しはもちろん、掃除や受け付け、お互いへの挨拶やとりなしの祈り、その他笑顔も、ただそこに一緒にいることも、主にあって何かのお役に立てていただいている…、そう覚えていてください。

わたしたちも、それがどんな風に役立っているか具体的には「何も知らない」かもしれません。それでいいのです。主が、顧みていてくださいます。

  • 祈り 主なる神さま、今日、あの従者の少年のように、わたしに声をおかけくださり、お用いください。わたしの歩みと存在を通して、あなた御業が前進しますように。
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