…従者は矢を拾い上げ、主人のところに戻ってきた。従者は何も知らなかったが、ダビデとヨナタンはその意味を知っていた。
(サムエル記上20:38b-39)
ヨナタンは、サウル王に命を狙われるダビデへの秘密の合図として、この矢がはなたれ従者に取りに行かせる…ということ、その背景にダビデとヨナタンの友情がありました。
この出来事の中に、一人の従者(少年)が、矢を拾う役割を果たしています。
本人は「何も知らなかった」とあります。しかしそれは大切な役割でした。
神さまに仕えるということ。その礼拝や証しはもちろん、掃除や受け付け、お互いへの挨拶やとりなしの祈り、その他笑顔も、ただそこに一緒にいることも、主にあって何かのお役に立てていただいている…、そう覚えていてください。
わたしたちも、それがどんな風に役立っているか具体的には「何も知らない」かもしれません。それでいいのです。主が、顧みていてくださいます。
- 祈り 主なる神さま、今日、あの従者の少年のように、わたしに声をおかけくださり、お用いください。わたしの歩みと存在を通して、あなた御業が前進しますように。