まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。
(イザヤ書 53:4-5 JA1955)
以前、ある番組でアフリカ某国の貧しさと民衆の悲惨な生活は、日本をはじめとする先進国のエゴや搾取のゆえであることを教えられ、青年たちが非常に驚いている様子がありました。
青年たちはその貧しさを、その人々の怠惰さのゆえだと思っていたからです。
人の苦しみを見ても、それが自分の罪のゆえであることには気づかないのが、もしかしたら私たちかもしれません。
ところでイエスさまの十字架苦しみをどのように受けとめておられますか?
今日のみ言葉に、私たちは新たな気づきが与えられています。